嵯峨野トロッコ列車の誕生
嵯峨野観光線は、その昔京都政財界の大御所といわれた田中源太郎氏が敷設に情熱を傾けた、京鶴線(旧山陰本線)の一部。
「嵯峨野トロッコ列車」は、トロッコ嵯峨駅からトロッコ亀岡駅までの7.3キロメートルを約25分で結び、春は山桜と新緑、夏はセミ時雨と川のせせらぎ、秋は絢爛の紅葉、冬は雪景色と、四季おりおりの保津川渓谷の美しさが満喫できる観光列車です。
嵯峨野観光鉄道は、京都府京都市と亀岡市で山陰本線旧線を利用して嵯峨野観光線にトロッコ列車を運行しています。
山陰本線の電化・複線化のため、渓谷に沿って蛇行するこのルートがボトルネックとなり、トンネルで山を貫く新線へと切り替えるために、山陰本線(嵯峨野線)の嵯峨(現在の嵯峨嵐山)~馬堀間が1989年3月に新線に切替えられ廃線になりました。
しかし、景勝地として名高い保津峡谷を縫って走るこのルートは車窓から素晴らしい景色が楽しめるスポットとして知られており、廃線で放置するには自然の環境や渓谷美を皆さんに見ていただくために、この廃線区間を観光用に開発したのです。
当初、線路はもちろん錆びており、枕木も朽ち果てていたものもあり、路線を整備して沿線に桜を植え、木々の剪定をしたり、草を刈り、9名の職員の手作りでスタートした事業でした。
「せいぜい20余万人程度しか乗客はこないだろう・・・3年ももたない・・・といわれてスターとしましたが、桜並木を沿線に植え、ライトアップや列車案内などユニークなサービスと、自然や地域社会との「共生」を徹底的に追求することで1991年に開業し初年度68万人ものお客様にきていただき渓谷美と自然の中でのトロッコの旅をお楽しみいただきました。海外からのお客様も多く来られ、例年90万人のご利用をいただいています。


其實這トロッコ觀光鉄道一共只有5個車廂,1~4號車廂座位旁都有大的窗戶可以上下開啟,晴天時可以吹著涼風而雨天可以關上也不用擔心會淋濕;而5號車廂則是沒有窗戶,因此下雨時是不能坐的。這車頂則是玻璃製日光可以穿透進來因此也比較熱,在座位旁的車廂跟底部都是用柵欄圍起來,可以通風但是不用擔心危險,日本人對於維修檢查都很詳細的。

左為1~4號車,又為5號車

沿路的景色還算美麗,但是如果是在春天櫻花季或是秋天的紅葉來時會更美,還可以看到保津峡有許多人在泛舟,每次只要看到一艘船車上的日本人就會不停的跟船上的人說「掰掰」,剛開始還覺得好親切,但是久了就覺得好吵又好煩。列車長也會詳細的介紹經過的各個景點,只是下午時刻我們都昏昏欲睡沒什麼在聽。車上也有會賺錢的商人,幫車上乘客拍照留念,不過我們沒有拍所以不知道拍出來的效果好不好以及價格多少,但是看到很多人都有拍而且也都有花錢贖回來,所以也不知道萬一拍不好可不可以不買。而在回程時很多人都在嵐山站下車,雖然我們很疑惑但是並沒有跟著下車,後來熊爸看了地圖才發現那裡有不少的景點可以看,而且順著景點走可以走到渡月橋。



可以在這裡住一晚應該也是不錯的吧


在保津峡車站的可愛浣熊


翠綠的溪水


藍天、綠蔭

沿路拍的一些影音檔







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